2009年10月10日土曜日

関連文書#05

※以下に掲載する文書は、『未来』2007年5月号(488号)の小特集「土本典昭の仕事」に掲載された原稿である。


セザンヌ的態度──土本典昭『映画は生きものの仕事である』を再読する|諏訪敦彦

初めてテレビドキュメンタリーを演出する機会に巡り会った時、私は報道キャメラマンを取材対象に選び、彼らと行動を共にした。局内にある控え室にスタンバイし、事件、事故の一報が届くと、彼らは一目散に出動し現場に向かう。多くの場合、現場に到着しても警察の検証などで立ち入り禁止となっており、何も撮るべきものがない。それでも彼らは現場の最前線に突進し、キャメラを構える。まず現場に最も近い場所に行け、と先輩に教育されたのだと言う。例えばそれが交通事故で、傷ついた我が子を前に泣き崩れる母親がそこにいたなら、彼らは間違いなくキャメラを向けるだろう。彼らは一秒を争う現場において、瞬時にキャメラを向けるべき対象を峻別し、行動する。そのときなぜ?という疑問を自らに突きつけることは許されない。そのような躊躇があれば、彼はプロの報道キャメラマンではなくなるのだ。しかし、本当は彼らも心が痛んでいる。「僕たちは他者の苦痛にどうしてキャメラを向けるのか……?」仕事が終わり、若い彼らと一緒に酒を飲むといつもそんな話だった。仕事を離れ、彼らは人間に戻る。プロであるとは、そのように人間として感じ、考えるという当たり前のことを停止させてしまう能力に他ならない。明日また、彼らがプロとして、つまり人間であることを停止させ、傷ついた人にキャメラを向けるとき、彼のファインダーに収まっているその人もまた人間ではなく、ただの「対象」であるだろう。

「ドキュメンタリーとは人と出遭う作業であるとのべた。それとともに、カメラをもつことから始めて見えはじめる人間に投企するものであり、「被写体」という妙な言葉でいわれる対象者との関係から、真の人との出遭い、新らしい人との出遭いを重ね、それを記録していくものだ」と土本典昭監督は書く(『映画は生きものの仕事である』未來社、新装版二〇〇四年、一一七頁。以下同書の頁数)。単純なことが述べられていると思う。ドキュメンタリーを志す人間ならば、誰もが人との出会いを尊重したいと思っている。しかし、キャメラをもった人間が人として人と出会うことは、実は容易なことではない。キャメラは撮るものと撮られるものを残酷に区別する。撮影中どんなに親密な関係を築いた振りをしても、キャメラを構えるものは、どこかにその目的を隠しているペテン師である。撮影が終わると関係も終わり、キャメラに収録されたイメージは、撮られるものの預かり知らないどこか別の場所に持ち去られてしまう。キャメラをもったものの目的は、その収穫したイメージをどこかに持ち帰ることである。もし彼が「自分は何のために撮りにきたのか、この部落、この町において必要な僕の行為というのは何なのか」(六七頁)というナイーブで根源的な問いに留まってしまったなら、彼は撮影を進めることができない。とりあえずそれは「正義」のため、あるいはこの現実を広く社会に知らしめるため、と自らを納得させ、その問いに目をつぶり仕事に戻るのだろう。

そんなふうにして、いまも夥しい数のキャメラが世界を飛び回り、人々の苦痛の映像を配信し続けている。その正義のための映像は、悲痛な有り様を伝えはするが、その映像を見る人間を同じ苦しみで犯すことはない。映像を見る人間は何のリスクも負わず、責任も問われないまま、その苦痛を安全に眺めることを許されている。そこには「正義」だけでなく、徹底的に「人間」が欠けている。

「私はモラリストでも社会運動家でもない。そうではないものとして、つまり一人の自由な映画人として、私の道の楽しみ、つまり道楽として映画を作っている」(二二三頁)と、土本監督は言ってのける。水俣の現実にキャメラで向き合うことを「道楽」であるとは奇異に響くかもしれない。キャメラを向けられることを拒絶もせず了解もしない「生きている人形」のような水俣の少女を前にして「何故? 何のために? どの地点にたって私は撮っているのか?」(一五頁)と問いかける映画作家は、「映像の零度」とでも呼びたくなる瞬間に立ち会っているのだと想像する。そこでプロとして撮影を敢行することも、人として撮影を放棄することもできるであろう。ある意味でそれは容易いことかもしれない。しかし土本監督はただの人でもなくプロでもなくキャメラをもった人間、つまり「映画人」としてそこに留まる道を選ぶ。私はいたいからここにいる。これは道楽である……。

「人を盗み、肖像を切り撮り、人の言葉を採る……そうした物理的武器、レンズ、フィルム、テープ等を私が一方的に独占し、それを力としてもっている存在である以上、「被写体」の人間と私とは同列平等であり得ない。まして編集という個的な作業でイメージを創造でき、一見、全く別個の世界をつくり上げられる立場をもっているものが、シリアスであるべき事柄を表現する際に、フィルムの上でのみ“映画作家”的であってよいのであろうか?」(一三六頁)土本監督は、構成のプロであることをも捨て、撮った順につなぐという編集スタイルを自らに強いる。作家として主体的に世界を構成すること、選択すること、整理することを制限する。それは、主観を消して無作為を装い、ありのままのリアリズムを徹底しようとする態度とはまったく違う。むしろ問題は「私」である。その態度はセザンヌに似ている。セザンヌが自然と切り結ぶ態度は、作家が主体的に世界を構成しようとするものではなく、主体を消してしまおうとするのでもなく、自らの存在を自然と絵画の関係の触媒として差し挟む行為であろう。そのような主体を、もはや作家とは呼ばない。「それは、作家の仕事ではなく、生きものの仕事なのである」(一三六頁)

私は、友人でもあるポルトガルの映画作家(彼は作家なのだろうか?)ペドロ・コスタのことを思い出している。社会から遺棄されたものたちが暮らすリスボンのスラムで、そこに暮らす人々とともに映画を製作した彼は「大事なのは、映画を作るという仕事(労働)です。映画ではありません。例えば、あなた達、東京やパリ、ロンドン、ベルリンのシネフィル達にとって重要なのは映画でしょう。しかし、私にとって、最も重要なのは人々とともに作り上げることなのです。私が映画の出来に満足するのはその後のことです」と言い(「壁の汚れ、想像力とともにある生」『現代思想』二〇〇五年五月号、一一八頁)、映画を作家の自己表現の成果物として外部に持ち出し、映画を快楽として享受する観客のために差し出すことよりも、自らが触媒となってその映像を再びその場所の人々に返すことの教育的側面を重視する。彼らの新しい制作態度は、かつてフラハティやリュミエールの初期の映画がもっており、しかし現代においては失われてしまった映画の根源的な可能性へと私を連れ戻す。過度にプロフェッショナル化し、見るものを無知に追いやる映像と、ただ写っているだけで無自覚に垂れ流される映像の氾濫の中で、『映画は生きものの仕事である』という書物に充満する言葉の響きには、現代の映画の可能性を切り開く予感が漲っている。