2009年10月2日金曜日

関連文書#01

潮をつかまえた本|岡田秀則

【書評】土本典昭・石坂健治『ドキュメンタリーの海へ──記録映画作家・土本典昭との対話』


まずは書誌学から。ドキュメンタリー作家・土本典昭をめぐる書物は決して少なくはない。代表的なものだけで以下の本が挙がる。

『映画は生きものの仕事である──私論・ドキュメンタリー映画』(未來社、1974年、新装版2004年)
『逆境のなかの記録』(未來社、1976年、新装版2004年)
『わが映画発見の旅──不知火海水俣病元年の記録』(筑摩書房、1979年)
『水俣映画遍歴──記録なければ事実なし』(新曜社、1988年)
『ドキュメンタリー映画の現場──土本典昭フィルモグラフィから』(現代書館、1989年)
『ドキュメンタリーとは何か──土本典昭・記録映画作家の仕事』(現代書館、2005年)

最初の2冊は、監督本人によるさまざまな文章の集成である。映画を作ることと見せること、その活動の狭間から具現化してゆく土本の思想の道筋を示したドキュメンタリー分野の先駆的な著作といってよい。これらに先立つ日本のドキュメンタリー作家自身の著書で、現在でも読む意義を強く感じさせるのは、羽仁進と初期の松本俊夫の本ぐらいである。近年新装版が出た土本の2冊は、ドキュメンタリー映像の製作が身近になった今こそ揺るがぬ価値を確立したし、さらに、水俣の継続闘争の中で土本の仕事はいくつかの書籍として顕彰されてきた。個人的には、初めて「水俣」シリーズに出会った頃に読んだ『ドキュメンタリー映画の現場』が印象深いが、それらの書物の背後にいつも感じるのは土本映画の製作母体となってきた青林舎やシグロの篤実で温かい“眼”であった。

後期の本でとりわけ焦点化されていたのは、土本のフィルモグラフィではないだろうか。『ドキュメンタリーとは何か』などは、プロダクション周辺の有志の手で2004年に実現した「土本典昭フィルモグラフィ展」の記録だが、筆者はいまだかつてこの「フィルモグラフィ展」という語を他で見たことがない。ここには、レトロスペクティブ(回顧)ではなく、終わらない闘いを踏まえて、その時点での新たな作品録を呈示するという現在性への志が込められていると思う。

だから、筆者がこの『ドキュメンタリーの海へ』を手にした時、まず開いたのは巻末のフィルモグラフィであった。作品のデータという点では、実はいちばん詳細に記述されているのはフィルモグラフィ展のパンフレット(2004年)なのだが、『ドキュメンタリーの海へ』のフィルモグラフィには、この書物全体を流れる水面下の「潮」と共振するようなうねりのエネルギーを感じる。映画とテレビとコマーシャルとスライドと著書、当然ながら作家本人は、個々のそうした仕事に対して幾分の温度差を感じていたはずだ。だがそれらを同時に扱うことは、ひとりの映画作家の「輝かしい」履歴を紹介するだけでなく、それぞれの時代の矛盾を受け入れつつ、それを鋭利な批判へと転化させる思考の道のりを示すこの書物のあり方とパラレルなことだろう。

本書の中心をなすのは石坂健治氏によるインタビューであるが、その中身も、これまでの本とはまた違った、悠然とした時の流れを感じさせる。まず、これまでクロースアップされてこなかった幼少時代、学生運動期や山村工作隊の時代にまで遡ったことは画期的で、例えば安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』に小さく記されていた「早大細胞」土本の姿もようやく明らかになったわけだが、この本の魅力はもちろんそれだけではない。インタビュアーの資質によるのだろう、個別の作品の底をゆく潮の動きをゆっくり大きくつかむような感覚がとても心地よい。またこの書物に独特の豊かな相貌を与えたのが、写真をはじめとする図版類の充実である。例えば『水俣 患者さんとその世界』のアルバム頁には、「上映会の収支集計表」が見開きで掲載されている。大半の土本映画は、製作から上映までの過程をひっくるめて完結するのだから、こうした資料の登場によって読者は土本の映画世界が持つ“温度”にも触れることになる。

いわば「永遠」の語さえ似合う、調和の感覚に満ちた書物だと思う。しかしそれだけに、この本の初めてのお披露目が監督との「お別れの会」であったことは無念の一語だ。だからといって、永遠の隣にある言葉は死なのか、などと簡単には言いたくない。『医学としての水俣病』で、魚の摂取量を控えるようにと説く医学者に、それでも人々は魚を食べるんだ、と食ってかかった土本の声が忘れられない。そんな土本の声も、この本の中で生きている。

土本典昭・石坂健治『ドキュメンタリーの海へ──記録映画作家・土本典昭との対話』、現代書館、2008年、3600円+税

※『映画芸術』425号(2008年秋号)に掲載。